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創業昭和九年 木古内の坊 孝行餅本舗 末廣庵
木古内町のお菓子屋です。

電話でのご予約・お問い合わせはTEL.01392-2-2069

〒049-0422 北海道上磯郡木古内町本町237

木古内の坊concept

物語

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大正7(1918)年に北海道庁が編纂した「北海道人名字彙」には北海道史上で特筆すべき人物的1100名あまりが収録され、その中のー人に「木古内ノ坊」という項があります。
 彼は本名を川股友吉といって父親と兄第のために付け木(火を移すために使われる硫黄を塗った木片)を売り歩いた孝行者でした。
 友吉は幕末の弘化3(1846)年、木古内の農家川股七之助の長男として生まれましたが生まれつき目が悪く、父もまた目が不自由でした。


物語

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 明治5(1872)年、26歳になった友吉は父と病気がちな弟二人を養わなければならないと思い、函館へ出て付け木を売り歩いて生計を立てるようになりました。
その足は時に遠く余市や鳥牧にまで及んだそうです。
 ボロボロの服を着た半盲の大男が歩く姿は異様であり、子供たちに馬鹿にされながらも友吉は付け木売りを続け、いつも笑顔を絶やさなかったといいます。
 友吉は道南一帯に広く知られ、孝行者として段々評判を得るようになり、明治10(1877)年には開拓使から記念品が贈られ表彰されました.
 明治21(1888)年、友吉は病に倒れ翌年43歳で生涯を終えましたが、後年になり次のような逸話が語られるようになりました。


逸話

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 『大阪のとある豪商のもとに男児が生まれたが、ずっと手が開かないので易者に見てもらったところ、この子は北海道の木古内の坊という人の生まれ変わりで、彼の墓の土を塗ればきっと治ると言うので、そうするとたちまち開くようになった』


友吉の公的記録

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友吉の公的記録
 北海道立文書館の中に、明治7(1874)年の友吉一家に関する文書記録が残されています。
 その内容によれぱ、一家は木古内の中でも瓜谷村に住んでいて、目が悪かつたり病で全員満足に働けない状態でした。そのため今までは村民が助けてきたが、今年は村自体が凶作で助けられないので官が一家を支援してほしいという請願で、当時の瓜谷村用掛と木古内村副戸長、友吉一家の名前が記されています。


木古内の坊物語
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木古内の坊 孝行餅本舗 末廣庵

〒049-0422
北海道上磯郡木古内町本町237
TEL.01392-2-2069
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