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KANRINMARU FOREVER

遙かなる時空をこえて、人と人がふれあうとき・・・

咸臨丸終焉140年まちづくり事業

平成23年9月24・25日開催、ご来場ありがとうございました。

咸臨丸を縁とした絆を結び、 新たな旅立ちへ・・・

 幕末維新の怒濤の時代に新しい日本の幕開けを担った咸臨丸が
木古内サラキ岬に沈んで、今年(平成23年)で140年・・・・。

平成23年9月24・25日
オランダ王国大使館をはじめとして
全国の咸臨丸ゆかりの地(塩飽諸島・横須賀・宮城県白石・札幌市白石区)や
咸臨丸子孫の人々が一堂に会し、
『終焉140年式典』『記念講演会』『全国まちづくりサミット
』『朗読劇「永久に、咸臨丸」公演』などを開催し、
栄光と悲劇の14年の歴史を偲ぶとともに、
咸臨丸を核とした更なる絆を確認し、
まちづくりに活かすための意見交換を行いました。
 
 

  
運営体制及び開催要項    案内パンフレット    当日のしおり



マスコミ報道    (1)  (2)   (3)  (4)   (5)   (6)   (7)

 ■■事業の趣旨・目的■■
     咸臨丸は、開国の嵐に揺れる江戸幕府の意によって、1857(安政4)年にオランダのキンデルダイクで建造されました。
 1860(安政7)年、木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、日米修好通商条約批准書交換を目的とした幕府遣米使節護衛の随伴艦として太平洋を渡る偉業をなし遂げるなど、幕末の動乱期に日本近代化の歴史的象徴として活躍しました。
 しかし、晩年は時代変革の渦に巻き込まれ、軍艦から北海道への物資運搬船となり数奇な運命をたどります。戊辰戦争で敗れ北海道移住を余儀なくされた仙台藩白石片倉小十郎家臣団を乗せた咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、1871(明治4)年9月20日、木古内町サラキ岬沖で座礁沈没し、今も静かに眠っています。
  咸臨丸の14年の歴史は、混迷の時代に翻弄されながらも次代を担う英傑や鎖国から開国へという新たな時代を創造する英知を生むなど、今日の私たちが学び且つ活かすべきものが多くあります。
  木古内町観光協会と咸臨丸とサラキ岬に夢みる会は、地域住民による手作りまちづくり事業の一つとして『咸臨丸とサラキ岬プロジェクト』を提唱し、日本の歴史遺産である咸臨丸の歴史的検証によってその偉業を後世に伝えるとともに、終焉の地である風光明媚なサラキ岬の環境整備による交流観光拠点形成を通して、誇りある地域づくりを目的として活動しています。
  今年(平成23年)は、その咸臨丸の終焉から140年の節目にあたることから、全国の咸臨丸ゆかりの地から
歴史研究やまちづくりに取り組む人々が終焉の地・木古内に集い、栄光と悲劇の足跡を偲ぶ『終焉記念式典』、歴史を学ぶ『記念講演会』、咸臨丸を核としたまちづくりを語る『全国まちづくりサミット』を企画しました。更に記念事業として咸臨丸の14年の歴史と意義を綴る『朗読劇公演』を行います。 
  地域社会の育成は地域に生活する人々が自らの手で資源を発掘し、磨き、育て、誇りとしていくことが肝要です。本事業は、咸臨丸という地域の歴史資源を通して他の地域の人々と交流し、一層人的且つ文化的付加価値をつけることによって、自らの地域に対する人々のまちづくりの意識(誇りと自信)を高め、地域の活性化に大きな効果をもたらします。
  こうした趣旨及び目的のもとに、私たちは、咸臨丸の歴史性を高めて広く宣布するとともに誇り得る地域づくりのために本事業に取り組みます。


          ■■■咸臨丸ストーリー■■■

■■事業程・内容■■ 

    1.期日  平成23年9月24日(土)~25日(日)

 2.会場  サラキ岬・木古内町中央公民館・石川屋

   3.主催  木古内町観光協会・咸臨丸とサラキ岬に夢みる会

 4.主管  咸臨丸終焉140年まちづくり事業実行委員会
 
 5.後援  木古内町・木古内商工会・9町観光連盟・どうなん追分シーニークバイウェイ運営代表者会議・
       北海道新聞木古内支局・函館新聞社・NHK函館放送局

   6.対象    オランダ大使館
       咸臨丸に関連する地域(塩飽諸島・横須賀市・宮城県白石市・札幌市白石区)
                    咸臨丸子孫の会
                    渡島管内及び函館市観光関係団体及び歴史研究団体
       町内外の一般 
 ■■咸臨丸終焉140年式典■■
  
  1.プロローグ
   「千の風」独唱・追悼砲・ウィンズエコーアンサンブル

 2.開式の言葉
 
 3.オランダ王国並びに日本国国旗掲揚

 4.献 花
   
オランダ王国大使館 報道・文化担当官 バス・ヴァルクス 様
   宮城県白石市代表 白石市長 風間康静 様
   札幌市白石区代表 白石区ふるさと会会長 武藤征一 様
   横須賀市代表    小野友五郎子孫 岩瀬 光 様
   塩飽諸島代表     香川県観光協会専務理事 松岡勝哉 様
   咸臨丸子孫の会代表 勝海舟子孫 五味澄子 様
   開陽丸子孫の会代表 会長(榎本武揚子孫) 榎本隆充 様
   近隣市町村代表   江差町長 濱谷一治 様
   木古内町代表    木古内町長 大森伊佐緒 様

 5.式 辞
    
実行委員長  久保義則

 6.挨 拶
    木古内町長 大森伊佐緒 様

 7.追.悼の言葉
   
オランダ王国大使館 報道・文化担当官 バス・ヴァルクス 様
    咸臨丸子孫の会幹事教授方頭取(会長) 小林賢吾 様


 8.メッセージ
   
香川県・横須賀市・札幌市白石区

 9.エピローグ
   みそぎ太鼓・ウィンズエコーアンサンブル

10.閉式の言葉


サラキに眠る咸臨丸を偲ぶ終焉140年式典

オランダ王国大使館のバス ヴァルクス氏の追悼の言葉
 ■■記念講演会■■
   テーマ 咸臨丸と海
 講   師   ノンフィクション作家   合田一道 氏 
   テーマ   勝海舟と咸臨丸
 講   師   勝海舟玄孫(咸臨丸子孫の会)   高山みな子 氏

 ■■咸臨丸全国まちづくりサミット■■
 
 テーマ         咸臨丸など歴史文化を核としたまちづくり
 座   長           北海道新聞編集委員   久田徳二 氏
 オブザーバー  オランダ大使館 報道・文化担当官
                                                      バス ヴァルクス 氏
 パネラー       咸臨丸に関係する各地域や団体の方々(各2名)

    
   塩飽諸島(四国)   咸臨丸渡米150周年事業実行委員 中西昌夫 氏
                   水主出身の島・本島代表 信原 清 氏
  横須賀市         小野友五郎子孫 岩瀬 光 氏
                   濱口興右衛門子孫 福本衣子 氏
  宮城県白石市     白石市長 風間康静 氏
                   白石観光協会副会長 佐藤善彦 氏
  札幌白石区       郷土史家 塚本謙蔵 氏
                   白石区ふるさと会会長 武藤征一 氏
  咸臨丸子孫の会   幹事教授方頭取(会長) 小林賢吾 氏
                   幹事教授方(事務局長) 小杉伸一 氏
  木古内町         咸臨丸とサラキ岬に夢みる会会長 久保義則 氏
                               同          副会長 舛野信夫 氏
  研究家           作家 あさくら ゆう 氏 


サミットでは、活発な議論を通して、各地域の
交流の絆を深めて、咸臨丸の歴史的研究や
まちづくりへの取り組みを推進する
共同宣言文を採択しました。


 ■■交流懇親会■■
 スタッフを含めると約180名の交流懇親会。木古内の新鮮な幸の他、白石市の名物『温麺』や香川県の『茶がゆ』な
 どを楽しみ ながらあちこちで会話に花が咲き、懇親を深めました。 
 ■■咸臨丸歴史講話■■
   テーマ   咸臨丸、栄光と悲劇の14年
 講   師   咸臨丸子孫の会  小杉伸一 氏
  小杉氏には、朗読劇に先立って、咸臨丸の栄光と
  悲劇の14年の歴史を、時に隠れたエピソードを織
  りまぜながら語っていただきました。

  独特の語り口は多くの聴衆を魅了しました。、 
 ■■朗読劇『永久に、咸臨丸』公演■■

          咸臨丸の栄光と悲劇の14年の足跡を綴る・・・・
          町民と子孫の会が手作り朗読劇を熱演しました。
       木古内中学校吹奏楽部の演奏は素晴らしいものでした。



   スタッフ
  ●脚本(合田一道) ●演出(任 泰峰) ●監督(多田賢淳)
  ●音響(遠藤直喜・中山勝也) ●音楽(中條淳也・木古内中吹奏楽学部)
  ●映像(竹田光伸) ●照明(清 政見)
  ●道具・衣装(松村信子・丹羽陽子・工藤みどり・後山澄子・千葉恵子・
         鈴木英子・羽沢和恵)
  ●カメラ(西村一朗) ●ビデオ(竹村照清)

   キャスト
  ●勝 海舟(舛野信夫) ●福沢諭吉(伊藤光雄) ●木村摂津守(宗像善樹)
  ●小野友五郎(森田哲郎)●中浜万次郎(福本勢也) ●ブルック大尉(工藤嗣美)
  ●水主A(西山市朗) ●水主B(中西史和)●徳川慶喜(竹田 努) ●老中(佐藤裕史)
  ●藩主A(広瀬雅一) ●藩主B(椛沢三次)●殺陣(一世一代時代組)
  ●榎本武揚(黒田 力)
  ●小林文次郎(山口 守) ●春山弁蔵(鎌田 晃)●春山鉱平(中島茂行)
  ●乗組員A(工藤 聖) ●乗組員B(北島靖之) ●官軍兵士A(平野有志)
  ●官軍兵士B(平野武志) ●五言絶句(吉澤 徹)●佐藤孝郷(牧野 孝)
  ●三木 勉(松岡敏彦)●乗船者(女)(中村千種) ●乗船者(男)(長江郁孝)
  ●新井田久次郎(久保義則)●泉沢若衆(吉田裕幸) ●語り(犬童いづみ)

サラキ岬で勝海舟と福沢諭吉が回想するシーンから始まる

スタッフ・キャスト総勢60名によるカーテンコール
 ■■『咸臨丸と福沢諭吉』展■■ 
   慶応義塾大学より提供された、翰林ると福沢諭吉に関する   貴重   な史料などを展示。
   9月16~28日、木古内中央公民館にて開催ました。  
 ■■『咸臨丸、北へ~最後の乗船者・白石片倉小十郎一族の足跡~』刊行■■

謎多き咸臨丸の晩年を解く・・・

 
●咸臨丸は何故に北の地・木古内サラキ岬で
沈む運命にあったのか?
●そして、変革の時代に翻弄された
最後の乗船者・白石の人々の足跡を辿る・・・
●是非ともご一読下さい。


定価/2,000円(税込)  ※送料別途(500円)

購入ご希望の方は下記までごお尋ね下さい。詳細は
木古内町観光協会 電話 01392-2-2046 FAX 01392-2-3411  



日本の歴史遺産・咸臨丸の交流の輪を広げましょう!!

 オランダ  嘉永6年(1853年)のペリー艦隊が浦賀沖に現れて以来、幕府は海軍力の増強を余儀なくされ、唯一の友好国であったオランダに軍艦を発注する。その一つが日本初の軍艦・咸臨丸である。十二門の大砲を備えた蒸気機関の咸臨丸は当時としては幕府の将来を支える要でもあった。
 長崎市  安政4年(1857年)3月、完成した咸臨丸はオランダのヘレフートスライス軍港を出港し、8月長崎の出島に投錨した。安政5年(1858年)、咸臨丸は海軍伝習所の伝習生を乗せ、述べ5回にわたり、帆や大砲の操作などの乗船実習を行った。
横須賀市浦賀  安政7年(1860年)1月、咸臨丸は日米修好通商条約批准書交換のために、浦賀を出港し、37日間の苦難の航海の後、サンフランシスコに到着する。異国の驚異的な文明に感銘を受け、帰りは日本人のみでホノルルを経由して46日間の航海をへて5月5日に浦賀に投錨する。
サンフランシスコ   浦賀を出港した咸臨丸の航海は暴風雨もあいまって苦難の連続であったが、グルック大尉等の米兵の協力もあって無事サンフランシスコに到着。サンフランシスコでは大歓迎を受けたが、勝海舟や福沢諭吉らは当時の米国の文明技術の高さに驚くとともに、その見聞はその後の日本の近代化に大きな役割を果たした。
 静岡市清水区  慶応4年(1868年)8月、幕府の姿勢に異を唱えた榎本艦隊の咸臨丸は、箱館に向かったが、暴風雨に見舞われ漂流し清水港へ避難した際、新政府軍に襲撃され、その多くが死傷した。死亡した乗組員は、任侠の清水の次郎長の篤き思いによって手厚く葬られたという。
 土佐清水市  土佐清水に生まれたジョン万次郎は、天保2年(1841年)、14歳の時、出漁中に漂流し、アメリカの捕鯨船に救出された。船長にその才能を認められ勉学に励み、11年後に土佐へ帰った。その後、万次郎は翻訳や航海術の才覚により、咸臨丸渡米時の通訳として活躍した。東大の前身である開成学校教授も勤めた。
 小笠原村  文久元年(18627年)12月、咸臨丸は小笠原諸島が日本固有の領土であることを諸外国に宣言し、その領有権を調査するために品川を出港した。約4ケ月の調査活動を終え翌年3月に帰港した。
 塩飽諸島
(丸亀・坂出・多度津)
 太平洋横断時の咸臨丸乗組員107名のうち、水夫は50名であった。その多くが塩飽出身であった。塩飽諸島は、岡山県と香川県にはさまれた西備讃瀬戸に浮かぶ大小28の島々からなり、戦国時代には塩飽水軍が活躍し、江戸時代には人名による自治が行われた。
 宮城県白石市  明治4年9月、戊辰戦争に敗れた仙台藩白石片倉小十郎家臣団401名は、蝦夷地(北海道)に移住することを余儀なくされ、咸臨丸に乗って仙台寒風沢を出港する。武士の身分は剥奪されたが、刀を持つことだけは許されたという。この片倉一族が咸臨丸最後の乗船者となる。
 札幌市白石区  咸臨丸最後の乗船者となった片倉一族は、一命をとりとめ、後発の船で小樽に到着し、開拓地となる石狩へ向かった。季節は真冬、病死する者もあったが、苦難の末にようやくたどり着き、苦渋の時代を乗り越えて今日の白石の礎を作り上げた。
木古内町   明治4年(1871年)9月20日函館を小樽に向かって出港したが、間もなくして何故か失速し、次第に木古内町サラキ岬の海岸に寄せられ、岩礁に乗り上げて座礁する。乗船者は全員現地(泉沢)の人々によって救助されたが、船体は数日後に海に沈み、咸臨丸は終焉を迎えた。
咸臨丸子孫の会   咸臨丸の太平洋横断時の乗組員の子孫の方々、咸臨丸の歴史や文化に関する研究者等の方々のグローバルな連携組織。咸臨丸の偉業を広く正しく後世に語り継ぐとともにその意味するところを今日の社会に役立てようと活動しています。1994年設立。


2011.4.8(北海道新聞)

2011.3.23(北海道新聞)

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