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咸臨丸ゆかりの地を訪ねて・・・・ 
    水主(かこ)のふるさと   四国・塩飽諸島訪問交流記

 期日/平成22年11月21日(日)〜24日(水)


記録ファイル

 平成22年は、咸臨丸渡米150年という節目の年ということから、
全国各地で様々な記念事業が行われた。
  咸臨丸渡米時の水主(かこ)のほとんどは塩飽諸島の出身者であった。
   塩飽諸島は古くから海運業で栄えた地域であったことから、
その船舶に関する技術は他に類をみないものがあった。
それ故に咸臨丸が太平洋を横断できたのは、
こうした水主の力量にあったからこそともいわれている。
 平成22年秋、四国の丸亀や多度津、そして塩飽諸島の各地で、
咸臨丸子孫の会の小杉伸一氏の講演会など、
咸臨丸渡米150年を記念する事業が行われた。
 平成23年の咸臨丸終焉140年を期して、
咸臨丸ゆかりの地との繋がりを広げようとしていた本会は、
その小杉氏に同行して四国・塩飽諸島を訪問し
多くの人々と交流を図る機会を得た。

鈴藤勇次郎作『咸臨丸難航図』(横浜開港資料館保管)
円形写真は当時の水主(かこ)の姿

 平成22年11月21日、午後3時に函館空港を飛び立ち、
羽田を経由して午後7時前には高松空港に到着、
さすがに北海道を比べると暖かい。
早速小杉氏や地元の子孫の会の方々と合流。
四国の美味を楽しみながら互いに挨拶を交わして
咸臨丸や塩飽の歴史について四方山話に花が咲く。
 

咸臨丸子孫の会の方々と

二日目、目が覚めて窓の外を見やると、どんよりと曇り空、今にも雨が降りだしそうな気配。
それでも大切な出会いが待っている。咸臨丸ゆかりの地の人たちとの出会いに胸が高鳴る。
 坂出市役所の方の車に乗り、曇り空に霞む瀬戸大橋を岡山方面へ走り、櫃石島へ。
小杉氏が親しくしている中学校を訪問し、子どもたちと歓談する。
壁には咸臨丸や塩飽の歴史を学んだ成果が展示されいる。
咸臨丸の歴史を描いた紙芝居の素晴らしさに驚かされた。
水夫からみた咸臨丸の歴史が見事に描かれていて、近く行われる地域の祭りで披露するという。
 子どもたちの案内で、咸臨丸に乗り組んだ水主の名を刻んだ記念碑を見学する。
その記念碑は瀬戸の海に向かって静かにも重々しく立っていた。 
子ども達が地域の歴史に誇りをもって学んでいる姿に感動して島を後にする。
 

櫃石島の中学校を訪問し懇談

咸臨丸の手づくりの紙芝居

咸臨丸水主(かこ)の記念碑(櫃石島)

 坂出市長や観光協会の方々と昼食をとりながら歓談。
咸臨丸終焉の地・木古内の取り組みを聞いていただき、今後交流連携を図ることが確認された。
続いて、香川県観光協会長でJR四国相談役の梅原氏や瀬戸大橋を設計された大林先生と面談し、
木古内に大きな関心をもっていただき、この終焉記念事業には是非とも参加したいとの嬉しい返事もいただいた。
 続いて、地元の四国新聞を訪問し、泉川編集長と歓談して一日目が終了。 
 

坂出市長・観光協会との昼食懇

香川県観光協会との懇談

四国新聞・泉川編集長との懇談

三日目は朝から晴天、本島行きのフェリー乗り場へ向かう。
澄み渡った秋空の下で疾走するフェリーには、
本島での咸臨丸のイベントや地域の祭りのためか、
いつもより観光客が多いという。
「本島の人口は約800人、でもお店はないよ」と聞き、
どんな島かと想像する。
小さな港に到着、秋風が静かに舞い、なんとものどかな風情が心地よい。
島といっても以外に大きい、港付近は賑わいもある。 
 

堂々とたたずむ瀬戸大橋

早朝の穏やかな瀬戸内海

本島ののどかなフェリー港

咸臨丸渡米150周年記念顕彰碑(本島)


塩飽勤番所(本島)
かっては
時の権力からも唯一自治権を認められていたことの証である、
塩飽勤番所を訪ねる。
徳川や豊臣からの自治を認める朱印状、咸臨丸の他、
上ノ国沖で沈んだ昇平丸の史料も多数保存されている。
咸臨丸の復元模型はずっしりとした重みと精密さもあり、
個人の手づくりと聞かされて驚いた。
その一つひとつに当時の繁栄の証が見え隠れしている。
 

塩飽勤番所に展示されている咸臨丸の復元模型

昇平丸の史料

咸臨丸の絵図

島の東側にある笠島地区という集落に向かう。地域の人々が神社の境内で祭りを楽しんでいた。
餅つきや出店、昔ながらの風景である。北海道で見慣れたヨサコイ踊りには驚かされた。
 集落の一部はかっての繁栄を偲ばせる町並みとして保存されていた。
地域の人々によって旧家がいろいろな形で再利用され、どこの軒先にも一輪挿しが飾られており印象的だった。
本会と同じく国土交通省の『手づくり郷土賞』を受賞していることを知り何か親近感をおぼえた。
 

本島笠島地区の住民ふれあい祭り

当時を偲ばせる本島笠島地区の復元家屋群

新鋭芸術家の作品

 島で唯一のレストラン?も旧家を再利用したもの。
そこで、なんと咸臨丸太平洋横断時の船中の食事を模したという
咸臨丸ランチをいただく。当
時のレシピを模写したものもあり、噛みしめながら味わう。
味のほどは可もなし不可もなし。
 

咸臨丸ランチとレシピ(左)

午後は、本島の歴史ウォーキングに参加し、
長い独自の歴史の変遷に興味をいだきながら、
小杉氏の講演会が行われる本島小学校へ。
講演では小杉氏の流暢な語り口にみな聞き入っていた。
咸臨丸を支えた人々の地であるからこそ、
聞く者の心にその言葉一つひとつが深く刻み込まれる。 

軒先々に飾られた花

本島での小杉氏の講演会

本島の盛衰を物語る無住寺

繁栄時の本島地区の長(おさ)の墓碑

 講演が終わる頃、本島はもう夕暮れにさしかかっていた。フェリーに乗り、丸亀に向かう。
薄暮の瀬戸内海は言葉にできないほどに美しい。
赤く染まる夕陽、点在する島々や行き交う船のシルエット、近代的な瀬戸大橋の輝きが反比例して面白い。
干満差が3mもある激しさと静かにたたずむ自然の温もりのコラボ、
それが塩飽の人々の歴史であるのかもしれない。 

子孫の会と地元の有志の方々と

夕陽に映える瀬戸内海

薄暮にたたずむ瀬戸大橋

 四日目、朝から多度津町長さんと懇談の後、資料館を訪問。
女性の川元氏が館長、手づくりの運営、手づくりの展示、
どこかほのぼのとした雰囲気があった。
咸臨丸コーナーには
木古内のサラキ岬のパンフレットも展示されていて親しさを感じた。
 最後に、丸亀市観光課、教育委員会を訪問。
どの地域も歴史や文化には深い関心を持ち、
咸臨丸のことには真剣に聞き入っていただき、
今後は様々な形で交流や情報交換していくことを確認し、全日程を終えた。

多度津町長との懇談

多度津町の郷土資料館にサラキのパンフが

丸亀市観光課との懇談

丸亀市教育委員会との懇談

 少々駆け足であったが、実り多き四国・塩飽諸島訪問であった。
地域の人々と触れ合い、行政関係者と懇談し、
咸臨丸終焉の地・木古内の思いを伝え、交流の契機とすることができた。
 咸臨丸子孫の会、特に小杉氏のご支援がなければ、
決してなし得なかったことである。
小杉氏とのご縁は
何にもまして人と人との心の触れ合いから全ては始まることを教えてくれた。
 この触れ合いの輪を大切に、咸臨丸の世界を広げ、
咸臨丸終焉140年の時を迎えたい。 

丸亀市での小杉氏の講演会

平成21年度木古内観光協会研修旅行
 咸臨丸の最後の乗船者・片倉小十郎家臣団の生地・白石を訪ねる旅
   7月11〜12日に行なわれた研修報告です。
詳しくは
 

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