咸臨丸とサラキ岬プロジェクト | 木古内町観光協会 | 咸臨丸の眠るサラキ岬 | サラキ岬チューリップ園 | 咸臨丸の歴史 | |
咸臨丸とサラキ岬に夢みる会 | 咸臨丸通信 | まちづくり公開講座 | マスコミ報道 | 会員募集 |
咸臨丸年表
年 月 | 咸臨丸の動き |
1853年 1854年 1855年 1857年 1858年 1859年 5月 9月 11月 12月 1860年 1月19日 1月22日 2月26日 3月 9日 3月19日 5月 5日 7月 1861年 1862年 1863年 1865年 1866年 1867年 1868年 1月 3日 8月19日 1869年 5月18日 1871年 9月12日 9月20日 |
◆ぺりーが浦賀に来航し、開国をせまる。 ◆日米和親条約を締結。 ◆幕府海軍の創設を決める。 ◆長崎に海軍伝習所を開設。 ◆オランダがスンビン号(観光丸)を献上。 ◆オランダに二隻の軍艦を発注。 (のちの咸臨丸と朝陽丸) ◆江戸築地の講武所に軍艦操練所設置。 ◆咸臨丸が完成し、日本に回航される。 ◆日米修好通商条約を締結・調印。 ◆ワシントンにて本書を交換するため、日本より使節を派 遣することになる。 ◆長崎海軍伝習所を閉鎖。 ◆遣米使節に正使・新見豊前守正興、副使・村垣淡路守 範正、監察・小栗豊後守忠順が任命される。 ◆別船を仕立て、遣米使節に随伴させることを正式に決 定、随伴船として観光丸が選ばれる。 ◆随伴船が観光丸から咸臨丸に変更される。 ◆咸臨丸がサンフランシスコに向けて、浦賀港を出発。 ◆正使・新見豊前守らが米国軍艦ポーハタン号で出発。 ◆咸臨丸、サンフランシスコへ入港。 ◆ポーハタン号、サンフランシスコ入港。 ◆咸臨丸、サンフランシスコを出港。 ◆咸臨丸、浦賀へ入港。帰国後、機関の修理後、神奈川 警衛の任務に就く。 ◆功績により軍艦奉行より表彰される。 ◆ロシア艦退去の談判ため、外国奉行・小栗豊後守らを対 馬へ運ぶ。 ◆外国奉行・水野筑後守一行を乗せ、小笠原諸島巡視の 任に就く。 ◆小笠原諸島巡視の任務を終え、品川に帰着。 ◆オランダへ留学する榎本釜次郎ら一行を、長崎へ運ぶ。 ◆咸臨丸は船体・機関の損傷が激しく、修理のため浦賀に 係船となる。 ◆船体だけを修理、蒸気機関は撤去。 ◆軍艦籍を抜かれ、運輸専用船として幕府回送方へ引き 渡される。 ◆大政奉還。 ◆鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争が始まる。) ◆榎本武揚率いる旧幕府艦隊の輸送船として品川沖から 蝦夷へ向けて脱出。 ◆嵐のため房総沖で座礁、幕府艦隊から離れ、修理のた め清水港に入港。 ◆官軍の襲撃を受け捕獲、品川沖へもどり、新政府の所 管となる。 ◆箱館五稜郭の開城(戊辰戦争が終わる。) ◆北海道開拓使の御用船として活躍した後、回漕業・木村 万平の手にわたり、北海道開拓移民の輸送にあたる。 ◆仙台藩白石片倉小十郎家臣団を北海道へ移住させるた め仙台寒風沢を出航。 ◆函館から小樽に向かう途中、木古内町サラキ沖で座礁、 沈没する。 |
咸臨丸とサラキ岬プロジェクト | 木古内町観光協会 | 咸臨丸の眠るサラキ岬 | サラキ岬チューリップ園 | 咸臨丸の歴史 | |
咸臨丸とサラキ岬に夢みる会 | 咸臨丸通信 | まちづくり公開講座 | マスコミ報道 | 会員募集 |
![]() |
![]() |
![]() |
木古内町観光協会 KIKONAI TOURIST ASSOCIATION
TEL 01392-6-7357 090-6521-1616 FAX 01392-6-7358